郡中まち元気サロン 来良夢(こらむ)

明治、大正、昭和、平成と100余年の町の歴史を今に伝える貴重な近代化遺産建築「元 伊予農業銀行郡中支店」を活用して、新しいまちづくりにチャレンジ!

「来良夢」 各部屋の使用状況(空き情報)

9時~12時 13時~17時 18時~21時 9時~21時
金庫の間 400円 600円 400円 1,200円
桜 の 間 200円 300円 300円 600円

元 伊予農業銀行郡中支店

伊予農業銀行は明治30年に松山市外温泉郡垣生村とその近郊の若者たちによって、「農家のためになるような、農業発展のための金融機関」をめざして設立されました。本社は松山市紙屋町(現在の古町付近)にあり、明治40年4月には伊予農業銀行郡中支店を開設しています。当時の郡中は、すでに港と郡中~松山に鉄道が整備されており、商いの町とし繁栄していました。道後平野南部の地場産品の集積も盛んであったこの地に支店を開設したものと思われます。

100余年 建物の使用者の変遷

  • 明治44年(1911年)4月 伊予農業銀行郡中支店は新築したこの建物に移転。
  • 大正11年(1924年)3月 愛媛銀行郡中支店(伊予農業銀行と松山商業銀行の合併によります)
  • 昭和3年(1928年)12月 芸備銀行郡中支店(愛媛銀行と芸備銀行の合併によります)
  • 昭和25年(1950年)8月 廣島銀行郡中支店(芸備銀行の社名が変更されました)
  • 昭和38年(1963年)  (協)伊予ショップガイド 事務所
  • 平成25年(2013年)3月 (協)伊予ショップガイドは解散
  • 平成26年(2014年)5月 ㈱まちづくり郡中 郡中まち元気推進協議会により
    「郡中まち元気サロン 来良夢(こらむ)」を開設

古典様式の装飾

中庭に面した「桜の間」

近代化遺産建築 この建物の特色は

近代化をすすめていた当時の世相を反映し、洋風建築と従来の建築様式が融合した擬洋風木造建築です。入り口を入った手前は板間の洋風建築、中庭を介して、奥には和室が設けられています。玄関前は、木製のコリント式の柱を配し、室内正面には木製のカウンター、開口部には古典様式の装飾が施されています。明治期の銀行建築として、貴重な建物です。

伊予絣と郡中のかかわり

備後絣、久留米絣と共に日本三大絣の一つとして知られる伊予絣は、江戸時代後期に(1801年~1804年)に垣生村今出(松山市西垣生町)出身の鍵屋カナが創製した今出絣が起源とされています。伊予絣は、明治20年代から生産高を飛躍的に伸ばし、明治39年(1906年)には全国の絣生産の1/4を占める日本一の生産量となっています。大正12年(1923年)に最高生産高を記録し、明治・大正期の地域経済を索引しました。伊予絣の生産は農家の副業・兼業による貸織りが主体で、明治後半の郡中町には、伊予絣の織元や絣製造者が40軒程度あり、郡中も伊予絣の隆盛を支える一大生産地だったのです。農林業に次ぐ基幹産業の一つであった伊予絣業を支援することも伊予農業銀行の大きな役割だったようです。伊予絣は明治・大正期には学校の制服や普段着や作業着などに使われ広く普及しました。しかし、服装や生活様式の洋風化と絣業の産地間競争に伴い伊予絣は衰退し、今も生産を続けているのは松山市の事業所1社だけになっています。伊予絣の普及につながればと、伊予農業高等学校の生徒さんが伊予絣を使用した作品づくりに取り組んでいます。

iyogasuriのサムネイル
伊予かすりをご存知ですか?

まちを元気にしたい人たちが笑顔で集まる場。 この建物の持つ歴史と価値を広めながら、新しいことにチャレンジ!

■使用内容:短期間のチャレンジ、ギャラリー、勉強会など
■使用料金:(消費税込みの表示です)
(金庫の間で冷暖房を使用する場合は下記の料金30%加算されます)
■郡中まち元気サロン 来良夢(こらむ) 使用申込書(PDF)
■郡中まち元気サロン 来良夢(こらむ) の使用規則(PDF)
■パンフレット「第二版」(PDF)
■来良夢(こらむ)通信

「金庫の間」クラシックな雰囲気のホールで
広さは約36㎡です
桜の間」中庭に面した8畳の和室です。
冷暖房はありません。